こんなにも暑くて でも 夏の終わりを感じる日 に思うこと

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夏の終わりのイメージ画像

こぼれ種から育った食用ほおずきが、そろそろ終わりを迎えそうです。

相変わらず連日のように『30~40個』もの実が収穫できているのですが、ここ2週間ほどは全体的に小粒なものばかりです。

中にはわずか5mmほどの実もあったりして、でもちゃんと実はおいしく種もきっちり入っていて・・・なんだか見ているとちょっぴり切ない気分です。

うどんこ病にかかったようになっていた葉っぱは、結局そのあと悪化することはありませんでした。けれども、樹勢?がそろそろ尽きてきたようで、葉の色も薄くなり、あれほどまでに生い茂っていたプランターも、今では全体的にスカスカに見えてきました。

最近は少しこまめにミネラル(ミネチット)を上げるようにしていますが、さすがにもう最盛期のようにはならないでしょう。

食用ほおずきの画像

ここ数日、日中の暑さがかなりキツく感じます。
さらに昨日は、まだ日が落ちていなかった時より日が落ちてからの時間のほうが、モワ~ンとただただ暑く感じました。

今年の暑さは尋常じゃないと体感的に思っているのですが、そんな中でも、夏の終わりをふいに感じることが最近多くなってきました。

夏の終わりというよりも、それだけではない『いろいろな何か』が、終わろうとしてる感じがします。

夕暮れの写真

私は20歳になるその年まで、「自分がおとなになっても地元に居続けるなんて『あり得ない』」と、真剣に思っていました。

けれども

1995年1月17日の朝、大きな地震の揺れとともに、人知れず自分の中の何かがガラガラと崩壊しました。

以来、ずっと地元で生きています。

地震がなかったら・・・

あるいは

地震がなくても・・・

みんなは今と変わらない人生を歩んでいたのだろうか?

自分の家族や友人たちを見ていて、時々ふとそう思うことがあります。

月のサイクルイメージ

私は若い頃から田舎暮らしがしたいと思っていました。そして、17歳のとき、旅行で訪れた長野県でビビッときて、「私は将来ここで生きていこう」と思いました。

その頃から、結婚や出産は自分の人生の設計図には含まれていないであろうことを薄々感じていました。

山小屋の画像

結局、その後震災を経てこの歳になるまで、ずっと地元を離れることなく生きてきたわけですが、40歳を過ぎた今、田舎で自然とともに生かさせていただきたい思いは今でもまだ抱いてはいるものの、『【今】【この時】【この場所】で、できること』に目を向けて生きていくことの大切さもまた、年々ヒシヒシと感じています。

条件の悪い我が家のベランダで、懸命にその命をつないでいる食用ほおずきやホーリーバジル・明日葉、そしてたくさんの野草たち。

私は今回の生で『命をつなぐ』という選択肢を選びませんでしたが、少なくとも今、ここまでつないできてもらったこの命を、どう活かし、どう終えるか・・・心からの思いを、どう昇華していこうか・・・四十にしてまだ惑っています。

もうすぐ枯れてゆくであろう食用ほおずきを前に、自らの生き方を改めて思う、夏の終わりの今日このごろです。

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