ブログ記事100記事目にして思うこと

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こんにちは。Yoshiです。

長かったような短かったような?今日でこのブログも100記事目となりました。

「100記事書き続けろ」論はやっぱり意味があると思った

思っていた以上にブログが上手に書けないまま、今日という日を迎えてしまった感がありますが、実際に100記事書いてみて、最近なんとなく分かってきたことがあります。

それは、『「ブログを始めるなら100記事は書くつもりで」というセオリー?には、やっぱり意味がある』ということです。

最初は、毎日続けて100記事書くこと自体がとても大変なことのように思えていました。それをさらに、ただ思いつくままダラダラと書いていくような日記ブログではなく、それなりに内容のある記事として毎日アップしていくことを目指すとなると、初心者の私には大変高いハードルのように思えました。(実際に、まだ高いハードルです。)

でも、やってみようと思いました。

マウスをクリックしている画像

とにかく書く。

書いて公開する。

さらに書く。

公開する。



ところが、いざ「人の目を気にしてブログを書くこと」を意識してみると、途端に「書いて公開することを躊躇する自分」がいることに、気づきました。

まずは「続けること」。「続けることを止めないこと」。

ブログを公開する以上、たくさんの人に読んでもらうこと、たくさんアクセスを呼び込めるブログを目指すこと、は、ある意味当たり前のことだと思います。そのために、SEO対策やSNSの活用などによるアクセスアップ法といった類のものが、ネット上でも書店でもたくさん公開されています。

ところが実際のところ、多くの人がアクセスアップ云々以前にブログの更新を続けることができずに、3か月以内で止めてしまっているのだそうです。

私の場合、ブログを始めようとは思ったものの「記事の内容に自信がないから誰にも見られたくない」という心理がまず働いてしまったので、しばらくの間、ブログそのものを始めることすらできませんでした。

不安を表現した画像

ブログするならもっと中身の濃い記事が書けるようになってからにしよう

内容にいまいち自信が持てないから、ブログとしてアップするのをやめよう

そんなループを繰り返していました。

ですが、ある時決心しました。「とにかく、自分が納得いかない程度の記事しか書けなくても、書こう。そして公開していこう。それを当面の目標としよう」と。

そう思うことによって、今日までどうにかこうにか続けてブログを書き、公開してこられました。

続けることによって見えてくるものがある

実際にブログの更新を続けていると、どんどん自分の未熟さが露わになってきました。

そして他の人たちのすごさがどんどん分かるようになってきました。

「私はこの程度の記事を書くのに5時間も6時間もかかっているというのに、この人は同じテーマの記事で、私よりはるかに内容の濃い記事を、わずか30~40分で書いたと言っている。しかもとても読みやすい・・・。」

そんな風に思いながら人様のサイトを見ることも増えました。

また、「このサイトの体裁の美しさは、テンプレート?カスタマイズ?。」とか、「この記事は本人が書いているのだろうか?」とか、「個人のサイトのレベルを超えてるこのブログは、一体誰が誰に向けて書いているのだろう?」とか、今までとは違った視点で、他の人のサイトを見るようになってきました。

そして、ひるがえって「自分は誰に向けて何を書いていきたいのだろう?」と考える時間が増えました。

方向性を示す画像

このブログの今後について

このブログは今後、これまでの記事の見直しや訂正・削除などの手入れをしつつ、もっと読み応えのあるブログとして継続していけたらいいいなと思っています。

ブログを書き出してしばらくの間は、「100記事書くことはどうにか続けられたとしても、その後も続けていけるだろうか?」と内心思っていましたが、今は「内容の充実した記事」「より分かりやすい記事」「読んでくれる人の役に立つような記事」をもっともっと書いていきたいと思っていますし、もっとブログ全体の見栄えもよくなるよう体裁を整えたりしながら、どんどん実りあるブログにしていきたいと思っています。

これからが始まり」 ― そんな思いでいます。

これまでお読みくださりありがとうございました。
そして、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。