困ったときには支えあい、困らない暮らしをめざしたい

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
多くの手、助け合う力のイメージ画像

こんにちは。Yoshiです。

脳梗塞で倒れた叔父に後遺症があることが分かりました。今後のリハビリでどれだけ回復するか分かりませんが、今後はやはり、これまで以上に周囲の理解と協力が不可欠となりそうです。

脳梗塞で倒れた叔父。言葉が出にくそうで少し麻痺も出ていることが判明。

昨日の続きですが、脳梗塞で倒れた叔父は現状ではやや言葉が出にくそうで、少し麻痺症状も見られるとのことでした。

しかしながら、ひとまず今回はリハビリで回復を目指せる程度で済んだので、まだ良かったと思いました。(脳梗塞は一年以内に再発することも多いようなので、油断はできませんが…)

そばにいて見守ったり手伝ったりできるわけではないのが心苦しいところではありますが、一日も早く元気になってくれることを願っています。

男の子が祈っている画像

会いに行きたいけど、それがストレスになりそうで・・・

お見舞いには明日、両親2人で行ってきてもらうことにしました。本当は私も行きたかったのですが、叔父は人に対して非常に気を使う人でもあり、また自分にたいへん厳しい人でもあるので、私まで行くとまた余計な気を使って疲れてしまうだろうから、身体に障るといけない、ということになりました。

『迷惑がられても臆することなく押しかけていって、世話を焼けるぐらいの図太さが欲しい』とたまに自分で思うこともありますが、『余計なお世話』は焼きたくないので・・・そのあたりのさじ加減はやはり難しいなと思います。

それに「実際のところ、自分に何ができる?」と思ったりもします・・・。

困ったときには気兼ねなく助け合える関係でありたい

私の家族、というより、私の親戚一同(父方も母方もどちらも)、あまり普段から付き合いがありません。付き合いが悪いということではなく、それぞれがそれぞれの人生を生きている、という感じです。

それが良くないとは思っていませんし、むしろ私は基本的にその方が良いと思っている方ですが、やはりいざというときに気を使わずお世話をしたりされたりできる間柄であれるように、普段からもっとコミュニケーションをとっておく必要があるなぁ、と改めて思いました。

自分自身も中年になり、兄弟も両親も同じように歳を取ってきて、親戚も皆歳をとってきて・・・もうすでに、いつ誰がどうなるかもしれない(というより、どうにかなる可能性の方が高い)状況になってきています。

『余計な気兼ねや羞恥心など持たず頼りにできる存在』の人がいるということは、何より心の拠りどころとなりますし、実際に頼る頼らないは別としても、やはり一人でも多くそう思える人がいてくれたほうが、ありがたいものです。

ファミリー画像

そしてみんなが困らない生活への移行

実際のところ、もはやこれは私個人の人間関係に限った話ではなく、人類全体に共通する課題であるとも言えます。家族や親戚・友人知人同士で分かち合い、支え合いながらやっていけるような【本当の強さと優しさを兼ね備えた関係性】を構築していくことが、今後の人類の最重要課題と言っても過言ではありません。

それによって結果的に多くの人がつながり、地球上の多くの問題も解消が可能となり、地球環境も速やかに改善されてゆくであろうことは想像に難くありませんし、もはや【待ったなし】の状況です。